宏道流の歴史

「瓶史」と宏道流

袁宏道の「瓶史」と宏道流

  袁宏道は中国の明代末期の文学者、詩人で、字は中郎。わが国では「袁中郎宏道」の名で親しまれている。生まれは湖北省公安県。兄袁宗道、弟袁中道と共に「三袁」と呼ばれた俊才であった。 明代中期からの文壇の主勢力であった復古派文学の形式主義に対して、彼は自由な個性を主張し、純粋な創造精神の高揚を強く叫んだ。その作風は彼の出身地にちなんで「公安体」と言われ、生涯を通じて多くの著述を残した。その中の一つが、当流の言わばバイブルともなっている花論書『瓶史』である。

  中国では宋、元の時代から文人と呼ばれる上層階級の教養人たちにより、花が広くめでられてきた。彼らは、「文房清玩」という一種の室内のしつらいの一つとして、書画・碑帖・琴険・文房具・香・茶などと共に花を「清玩」したが、こうした教養・趣味人による風雅な嗜みは、次の明時代になると一層盛んになり、遂にいけばなのための専門の著述が現れた。張謙徳の『瓶花譜』と、袁宏道の『瓶史』である。 『瓶花譜』は品瓶・品花・折枝・挿貯など八条からなる、瓶花のための手引書で万暦23年(1595)に出版され、一方『瓶史』は万暦28年(1600)に出版された。『瓶花譜』がどちらかといえば実用書的なのに対し、『瓶史』は文章もきわめて典雅で美しく、そのいけばなに対する考え方も深く洗練されており、いかにも当代一流の作家の手になった傑作と言われている。序文から始まり、花目、品第、器具、択水、宜称、屏俗、花崇、洗汯、指令、好事、清賞、監戒の十二章から成っている。 この『瓶史』に説かれている俗塵を離れて花と清浄、高潔、清貧、簡素に向き合うという思想は、文人のいけばなのエッセンスをあますところなく表現しており、後代の心から花を愛する人々に大きな影響を与えた。 『瓶史』は江戸時代にわが国にもたらされ、文化5年(1809)、当流の祖である望月義想の門弟、桐谷鳥習の手によって『瓶史国字解』という注釈書が作られた。『瓶史』の思想に深く感銘を受けた義想によって、今日の宏道流(袁中郎流)がおこされたことは、いけばな史の上でも特筆されている。

宏道流とは